〈コンセプト〉
愛される欠陥を通じて、余白を広げる
〈特色〉
制度を当てはめるのではなく、出逢った人に応じて支援の在り方を柔軟に組み替えていくようにしています。例えば、職員の中には知的障がいのある女性がいます。障害年金を含めて最低でも10万円ないと一人暮らしもできないし、彼氏ができたとしても遊びに行くこともできません。彼女の願いを踏まえたうえで、どうすればお金を稼ぐことができるのかを一緒に考えつつ、僕は必ず職員に質問をします。それは「自分の時給はいくらだと思う?」ということです。
自分のできることや自分ができないことを話してもらい、原則的には、契約のときに提示した時給に上乗せして働いてもらっています。彼女は誰かを頼らないといけないかもしれないけど、僕も彼女に支えられています。このように、誰かの困りごとに、僕の困りごとを引き合わせていくような働き方を模索しています。
〈事業形態〉
25歳のときに、NPO法人を立ち上げました。法人では、介護保険法と障害者総合支援法を運営基盤とし、利用者の家に泊まりに行くなど、制度では対応しにくい、夜間などの対応をする保険外のサービスを組み合わせて事業を進めています。その他にも、新聞の記事の作成、講演会や集いの場などに取り組んでいます。出逢った人のニーズに応じて柔軟に支援を変えるなど、地域を支える仕組みをつくっています。
〈運営にかかるコスト〉
人件費が一番多くなっています。建物は借りていますが、事業を始めるときの消耗品や設備投資は、冷蔵庫を譲ってもらったため、ほとんどかかっていません。しかし、それを運ぶためには人の力がいるし、事業を進めていく上で自分一人ではできないため、人件費は月100万円程です。その他にも、光熱費、食材費、通信費、車両費、地代家賃などの固定費がかかります。
〈モチベーション〉
エゴです。5歳で両親が離婚し、母の再婚相手は、十分に働けない人でした。給食費を払えなかったり、食べるものや必要なものが買えなくて困っていたりしたときに、近所の人が「つくりすぎちゃったから」と食べ物をくれたり、自転車をくれたりしました。そのとき、「血のつながりがすべてではない、こんな自分でも気にかけてくれる人がいるのだ」と思いました。
僕が高校生のとき、京都で子が親を殺してしまう事件がありました。その人は介護のために仕事を辞めたために生活が困窮し、生活保護を受けようとしましたが、「あなたは働けますよね」と言われ、受給できないのであれば死ぬしかないと思って、親を殺してしまったそうです。
自分の大事な人を自分の手で殺さざるを得ない社会に僕は生きているのだと思い、「僕には何ができるだろう?」「この手は何のためにあるのか?」と思い、福祉の大学に進みました。“あなたのため”は、“私のため”でもある。誰かのためにやっているなんて言えません。結局、自分がやりたいからやっている。ただ、「福祉ってなんだろ?」「人間って何だろう?」と考えたときに、「自分が他者とどう生きたいのか」は考えています。
〈人材確保や育成〉
求人広告は一度も出したことがありません。Facebookと口コミで、「自分も何かできることがないか」と来てくれる人がほとんどです。5年間やってきた中で、諸事情を除けば、離職者は0です。
失敗した人を、責めないようにしています。何か起きたときは、システムを見直します。例えば、携帯を見ていて誰かを転ばせてしまうのはダメですが、「子どもの学校から電話がかかってくるかもしれなくて見ていた」と言えなかった関係性は良くないと思いますし、関係性の質が上がれば思考の質が上がり、思考の質が上がれば行動の質が上がります。行動の質が上がれば結果の質が上がります。関係の質を上げるために話をするようにしています。給料交渉もその一つで、できないことがあったとしても余白が多い分、誰かが余白を埋めてくれて、そこからつながりができ、モチベーションになって良い支援ができて、誰も損をしないと思います。
〈失敗談〉
パンを買いたいけど持ち合わせがなかった利用者に、パン屋さんが220円を貸してあげました。しかし、その人は借りたことを忘れてしまう、認知症の人でした。次の日に、「貸した220円を返してほしい」とここへ電話が来ました。日に日にその額が増えて、最終的に220万円まで増え、警察に通報されてしまいました。僕が毎日、事情聴取を受け、ていねいに説明して潔白が証明されましたが、利用者は「あんな所に行きたくない」と来なくなってしまいました。その後、その人は脳梗塞で倒れ、亡くなってしまいました。
温泉に行ったり花を見に行ったりして、楽しい思い出がたくさんあったのに、最後は「220万円を取られた」と、嫌な気持ちをもったまま、僕たちと会えなくなってしまいました。このとき、「プライベートの部分まで踏み込んでしまったな」「アセスメントが足りなかったな」と反省しました。
〈開業時に苦労したこと〉
一般的なことを言えば、人・もの・金です。事業計画の作成やキャッシュフロー計算書を出すところから始めました。何かを始めれば必ず失敗はあります。しかし、失敗は限りなく減らすことができます。こうやったら失敗するってことがわかっていれば、それに対してのリスクマネジメントはしたほうがいいと思います。
食器や家具など、ほしいものリストを作成して地域の人に配りました。恥もプライドも捨てて、趣旨を説明しました。冷蔵庫・プリンター・パソコンは買いましたが、車などそれ以外は全部もらいました。開業資金については、金融公庫からの借り入れと寄付金をもらいました。元々、NPOで働いていたのですが、最初は手取り10万円ほどで、9円のうどんを食べて生活していました(笑)。
3年でやっとこ100万円を貯めることができました。金融公庫では10倍まで貸してくれるので、1,000万円までなら借りることができます。寄付金については、高校時代の恩師である先生が200万円、知人が10万円ずつ出してくださりました。開業資金は、金融公庫からの550万円と合わせて800万円ほどでした。ものとお金は何とかなりますが、人はなかなか難しいです。
開業時に「一緒にやろう!」と3人で始めましたが、あまりに大変で1人いなくなってしまいました。広告の勉強や、どの世代の人が何を好きで、何が嫌いかも知っておかなければならないため、色々と勉強しながら働いていました。最初は無給でしたし、10万円程度手元に残るようになるまで半年かかりました。
地域へのインパクトとしては、地域からしたら異物が入るようなものですよね。突然何か入ってきたみたいな。まずは自分たちのことを知ってもらうために、自治会に入りました。今は自治会長をしていますが、ゴミ出し当番などやることはたくさんあります。2回ほど遅刻してしまこったことがあり、それ以降、朝のゴミ出し当番のときは、5時に電話をかけてきてくれるおばあちゃんがいます。あとは、できるだけ地域で買い物をしています。近所のおじさんがお店の人を紹介して、つなげてくれたりして、少しずつ地域に溶け込んでいきました。
〈持続する仕組み〉
はじめは介護保険制度を利用してでデイサービスを運営していたのですが、利用者のおばあちゃんが朝の6時に来るようになり、保険外で対応することになりました。レスパイトでショートステイや夜間の対応もするようになり、ご家族と仲の悪かった利用者の看取りなどをするようになりました。地域の方々のニーズに応じて、柔軟に支援の在り方を変えていく必要があるかと思います。
〈今後のビジョン〉
みてみぬふりをしない。他では見切れない人が、ここには来ます。家族の支援も含めて、やっています。基本的には事業計画がないため、出逢ったときに考えています。目的地は僕も知りません。
■事業名:宅老所みつばやあんき
■事業者名:NPO法人みつばのくろーばー
■取材協力者名:堀内 直也(NPO法人みつばのくろーばー代表)
■事業所住所:〒400-0034 山梨県甲府市宝2-17-8
■取材・まとめ:大木 幹也(特別養護老人ホーム勤務)
■取材時期:2020年11月